【同調圧力】自分の価値観は自分で決められるようになりたいな、の話。
こんにちは!先週仕事が少しバタバタしていたらあっという間に1週間経っておりました。ブログ毎日続けてる人凄すぎない?
今日はほぼ独り言ですが人間観察好きな人は暇つぶしがてら読んでいってください。
別に誰かを批判してるわけじゃないし完全に個人の話です。
自分の価値観は自分で決められるようになりたいな、の話。
私、大学入学時に地元を離れ、地元とは比較的都会な場所で暮らしています。因みに地元名は明記しませんが、東京出身の子に言ったら「え、ジャングル?」とネタにされました 笑
地元(県レベルの話でなく地域レベルの話)での思い出ですが、小学校の時に同調圧力を感じていました。
当時は周りと好みや感覚が違う、けど嫌われたくないし面倒くさいから大人しくしておこうって考えで生きていたように思います。
例えば、勉強道具など女の子はピンクを選ぶのを私は青を選んでクラスのみんなの前で担任から「ピンクじゃなくていいの?」って言われクラスメートから不思議な目で見られたり。
女子同士のいざこざが面倒くさくて、それを避けるために人の陰口を一切言わず誰の肩も持たないでふわふわ生きていると(ただの八方美人ともいう)、陰口等を通して生まれた謎の結束感の中には入れないため自然と孤独だったり。
大人たちの近所付き合いものごたごたも、コミュニティが小さかったのですごく感じ取りやすかった。内容もあの家庭はこうだとかの陰口で、みんな他人のことはほっとけばいいのにって小学生ながら漠然と考えていたw
人に合わせていないと疎外される感が辛かったです。
有難いことに両親もそれを見兼ねてくれて、小学生の同級生と縁を切るように中学は少し離れた私立の学校に行きました。
それからは信用できる友達も何人かできたから人間不信にはならなかった。
大学生になると今まで抑えていた気持ちを爆発させるように色んな国に行ったり、国内外関わらず色んなバックグラウンドを持った人に出会って、ものすごく安堵したのを覚えています。
「あー地元にある価値感が全てじゃなかったわー」ってな感じで。
幸せの基準って何やろ
同じ土地に長くいると、別にその土地にあった価値観に合わせなくていいってことを忘れがちですよね。むしろ当たり前すぎて、植え付けられているその価値観の存在にすら気づかない。それは地元じゃなくてもどの場所にいても同じこと。
だからたまに窮屈になった気持ちを開放するように私は旅行に行きます。
周りから結婚や仕事の「幸せの理想像」みたいなのを聞いていると、その型にはまった生き方をした方が絶対幸せっていう強迫観念みたいなのが嫌になっちゃうんですよね。
特に日本は大半日本人だけのコミュニティで生きているから固定概念が凝り固まっちゃう傾向にありますよね。私の地元のような田舎だと、地域色が強くてなおさら。
あ、誤解していただきたくないのは、別に日本人や地元を批判しているわけではありません。
他人の生き方はで本人次第だと思うのですが、ただ、自分にとって何が一番幸せかは他人の価値観じゃなくて自分の価値観で決められるようになりたいなーと思う日々です。